あれからもうすぐ1年・・・
あれから一年になろうとしている・・・
それは深夜、知り合いから突然の電話だった。
今度は奴がいなくなってしまったと、全く信じられない電話だった。それは昨年、10年ぶりのレース復帰を北海道で果たした夜だった。
あれからもう直ぐ一年。
考えて見れば、その直前にも仲間を亡くしていた。そいつはそれほど親しい仲ではなかったが、それは同じ時代をメーカーを隔てライバルとして戦った仲だったから。しかしお互いの立場やその存在を、暗黙の中で認め合っていたと今でも思っている。そんな仲間がいなくなったことが、どんなに辛かったか・・・
そして立て続けに今度は奴だった。
事故の直前に、あるイベントで会って話したばかりだった。「10年ぶりにレースに出るぞ !」って。
ハチャメチャだけど放って置けない奴。自分に素直で一直線。だから手を貸したくなる。そんな不思議な魅力を持っていた。
'05年から奴はWSBへ参戦することとなっていたが、'04年の年末、直前になってチーフメカニックがキャンセルとなり、急遽該当者を探していた。もちろん心当たりを探した。しかし、この時期になって仕事が決まっていないメカニックでは頼りない・・・環境が変わることから、気の知れた日本人が良いが・・・彼を取り巻く周りの思惑は皆同じだった。
私はやっぱり奴を放って置けなかったので、「1人いたぞ・・・ここに・・・」と、全く経験のないチーフメカニックとして手を上げた。すると廻りのみんな、そして何より奴も同じ事を考えていたとの事だった。その後は話が早かった。
すぐさまフランスのチームへ向かう用意をした。オーストラリアのビザを事前に取り、1年間SBKを転戦する準備と、日本国内業務のスケジュール調整を急いだ。
日本とSBKサーキットへの移動は全て自分で手配。そもそも行ったことのないサーキットばかりなので、何処にあるか? から調べなくてはならない。もちろんコースレイアウトや前年リザルトから、ある程度マシンのセットアップについてもメカニックに指示しなくてはならない。初めてづくしだったが、とても充実した一年だった。
奴とはともに笑い、ともに涙し、悔しがり、喧嘩しながらも一緒になって戦った。奴のお陰でとても貴重な体験をさせてもらった。
グリッドでは、必ず奴後ろに立ち、奴の視界に入らないようにした。それはレース前、人一倍集中する時間を意識していることを知っていたから。
この年、とても沢山のレース現場写真があるが、グリッドの写真はいつも後ろからのものしかない・・・
もう直ぐ一年なんだ・・・
早いね・・・
'05シーズン、フランス・マニクールでの最終戦を終え、奴から汗でビッショリのヘルメットを貰った。もちろん今でも大切にしまっているが、これは2人ともベテランと言われる年でSBKルーキーと、チーフメカニック・ルーキーという記念だ。
今頃、天国から俺達を見下ろしているだろうな・・・「なんばさ~ん。何やってんですか~」って。
康友や憲保達とバイクに乗っていて欲しいな・・・。