北の魅力
この季節に訪れた青森は、想像してた以上に穏やかだった。
それは、たまたま暖かな陽気だったからだと思われるが、とにかく出会う人々だけでなく、移動する道中でさえもお互いを配慮しあう心遣いなど、都会の雑踏で自分本位なギスギスした空間とは無縁で、忘れかけていた人間としての大切な心を思い出させてくれる時間だった。
厳しい冬が訪れる直前の、残された僅かな時間を大切にしているからかも・・・と、何となく感じた。
写真のリンゴ。今までリンゴは「赤」だと思っていた。スーパーに並ぶリンゴは赤、絵に描く時も赤、色を象徴する時も赤だったが、初めて木に熟した本当のリンゴを見たときの衝撃は「赤じゃない・・・」だった。太陽の光を浴びていただけじゃないと思うけど、やはり自分の目で見て感じることは大切だなと。人から聞かされ、それが世間の当然と思っていた事は、自分の感性では違うものとして理解する時もあるんだと。
まぁ最近視力も怪しくなっているから、自分の目に写るものが本当かどうかは定かじゃないが、とにかく物事を予め自分の知識だけで決め付けてしまうのは止めたほうがいいな。良く分からないが、そんな気持ちにさせられるくらい大きな衝撃だったことは確かだ。
海も綺麗だ。写真は陸奥湾だが、対岸は見えないから水平線のようだ。堤防下はそれなりに深いにも関わらず、海底までスッキリ透き通っている。外海の離れ小島でもないのに、これだけ透き通った海はそんなに無いのではないかな?
地球という存在を理解していない時代、水平線の先は空と繋がっているような、そんな風景に昔の人は何を思ったのだろう?
今度は日本海の 西側。 海岸に凄い勢いで湧き出している真水を発見 ! 地球の自然が作り出す不思議は、実は地球にとって自然の営み。だってそれが自然だから ?
山に降った雨が地表にしみ込み、地面奥深くで濾過されてここへ流れ着いた。色々な地球のエキス? が含まれていることから、海へ流れ込むとプランクトンの栄養となり、魚がそれらで育つ。そしてその魚を人間が頂く。長きに渡って営まれている食物連鎖を想像できるエリアだった。
太平洋側や山岳地帯に住んでいると、太陽が海に沈む画を見る機会は少ない。これが実は幻想的だと思う。
地球から太陽までは随分と遠い。それに比べれば、朝夕の地表から太陽までの距離と、日中の真上にある太陽の距離変化は僅かなはず。なのに、こんなにも違う表情をみせる。
小学校で習ったはずだが、朝夕は大気中を通過する距離が長くなり、水分や塵などで太陽光が屈折や遮断されやすくなることから、最終的に太陽エネルギーが地表に届きにくくなる。この日もまだ海に沈んでいる訳じゃないのに、この直後太陽は見えなくなってしまった。本当は海に沈む太陽を見たかったが、その思いは叶わなかった。
でも青森、海から登る太陽と、海に沈む太陽の両方を見る事が出来る ! なんとも贅沢なところではないだろうか? 多くの他府県ツーリングライダーを見かけたが、地元ライダーも多かった。走っても走っても感動を与えてくれる山や海。そして人々の素朴で純朴な心は、日頃のストレスを全て忘れさせてくれる。北海道でも同様な気持ちにさせられたが、「北」にはそんな魅力が潜んでいるような気がする。行ってみ、行ってみ !